備前焼

須恵器から進化し、脈々と受け継がれ、釉薬を使わず焼き上げた土味と炎による芸術です。

備前焼の流れ

 古墳時代から行われてきた窯による焼成。

 備前焼は、豊臣秀吉、千利休ら茶人に愛されることによって桃山期に備前焼茶陶は開花し、侘び寂びの世界で日本中を席巻したのです。しかし、釉薬、特に白磁の登場によって、その人気は江戸期に衰えていくことになります。

 その江戸期には、岡山藩主により、陶工が保護され、岡山藩の財政の一環として栄えるものの、江戸時代が終わると、藩主の保護もなくなり、備前焼にとって苦しい時代となっていきました。
 しかし、陶工たちは、負けずに知恵を絞り、人工棧切、塩焼など新しい工法を生み出し発展させて、備前焼の新しい魅力を作り続けます。

 第二次世界大戦当時には、ジリ貧状態で、国の命令により、手榴弾の器を備前焼で作ったりもしています。生きていくため必死でした。

 戦後、文化財保護法の施行による人間国宝の指定、高度経済成長の影響から、備前焼は爆発的な人気を得ます。そして、現代に至るまで、多くの苦労してきた先人の陶工の意志を受け継ぎ、今を生きる陶工たちが素晴らしい伝統芸術作品を作り続けています。

 

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